Equi road.

・久しぶりに河井英里の「シャ・リオン」を引っ張り出して聴く。止め処なく襲ってくるこの「寂寥感」がたまらない。ワーズワースの冒険、いい番組だったんだけどな。洒落ていると言うか、今で言うところの「リア充」そのものなんだけど、CXにしては「品の有る」番組だった。教養バラエティかくあるべしみたいな、そういうちょっとスノッブなところもまた興である。

オーストリア侵攻は見事に頓挫した。圧倒的に準備が足りない。戦争に至るまでのぐちゃぐちゃは政治的な側面で興味をそそるのだが、実際に戦場で軍隊を指揮して実効的に武力制圧すると言う段階になると、俺は将棋に弱いことを唐突に思い出す。戦争に勝つことを前提に外交関係を作っているのだから、明らかに低レベルな政治問題なわけだが。負ける可能性のある戦争はしないに限る。まぁ、もうちょっと軍事力を付けて動員が増やせるようになって、ついでにオーストリアでまた内乱が発生した頃にお邪魔しよう。どうせ用があるのはヴェネツィアからダルマチアまでであって、オーストリア全土を寄越せと言うつもりはこれっぽっちもない。

・さて、なぜEU3DWでもHoI3SFでもなく、Vic2なのか。そこには、紗水なりの内政屋のこだわりと言うものが有る。ついでに言えば物凄くニッチな時代背景と言うのもマイナー趣味的な領域で非常に興味深いわけだが、前作Vicおよぶ拡張パックであるVicRと比べて、Vic2が「良くなった」と思える部分は解釈が分かれるだろうと思う。Vicもそれほどやり込んだわけではないが、紗水的にはVic2のほうが性に合うようだ。

・あらゆる側面は、Vicよりも高度に具体化されているが、そのインタフェースはVicよりも簡潔である、と言うのがVic2への偽らざる「賛辞」である。Vic2は明らかにVicよりも「洗練された」ゲームである。それがヘビーゲーマーの興を削ぐ改変であったとしても、である。端的に言えばVic2は「国家としての意思決定機関」であると言う立ち位置を明確にしたゲームだと言うことだ。

・例えば財務計画であるとか(あの画面が「予算管理」画面だなんて、死んでも言いたくない! あれは日々のお小遣い帳だ!)、貿易問題であるとか、生産力問題であるとか、細かいことを言い出せば切りのない部分を、Vic2はうまくゲームとして収めている。具体的にしてしまうとメッシュ的に矛盾が出るところを大胆に抽象化することで、経済の流れを作っていることについては、賞賛せざるを得ない。まだ市場原理がうまく効果的に働いているわけではないが、プレイヤーの主眼としてそちらに向くものではない、と言うことだろう。

・そう考えると、Vic2はVicよりも遥かに「内政的」になったと言える。かつてのVicのプレイヤーは意思決定機関であると同時に地方の役人であったり、貿易公社の社員であったり、農協の指導員だったりもしたことを考えると、よりVic2の意思決定機関は政治家たる職権の範囲において、ざっくりと財務状態を把握し、誰にも任せられない「外交」、そして延長線上の「戦争」と言う問題に向かっていく世論を、「政治改革」や「社会改革」によって世論を制御することで維持すると言う、もっとも政治家らしい部分だけは自動的に決定されたりしないところは、まさに内政ゲーである。

・細かい数字を改善して行く作業と言うのも、ゲームとしては面白いかも知れないし、そういうゲームが好きな(紗水も実際にはきらいではない)層にはたまらないカタルシスを伴うものだ。だが、Victoria2はあくまでも、第一次世界大戦と言う時代の節目を迎え、近代化と言う「功利意識」と、帝国主義と言う「政治意識」によって醸成された、僕らの知らない歴史の流れを味わうゲームなのである。すべての要素はフレーバーであり、すべてのファクターは部分である。このゲームバランスの絶妙さは、他にはちょっとない味わいではないだろうかと思う。1914年にい第一次大戦が起きる、とみんなが知っていれば当然みんな準備しているだろう。だが、1914年にサラエボ事件が起きるには、大セルビア主義の下、オーストリアに叛旗を翻すセルビアが発生する経緯までが、何らかの「切っ掛け」を持っていないかぎり、その場で発生する強制的な歴史イベントは、歴史上のメルクマールなどではなく「ただの強制シーンチェンジ」に過ぎないのではないか? だからクリミア戦争普仏戦争も、発生「しなかった」歴史は存在して良いのだ。ただそこには、具体的に「戦争にいたらなかった」理由が見えていなければいけないのである。それがヒストリカルであると言う根拠であり、かつての史上に現れたイベントがただ条件満了的に発生することを愉しむと言う側面も否定はしないけれども(それで成功したのがAGCEEPであるわけだから)、「史実にがんじがらめになる」がゆえに「不思議歴史を全否定」し、新たな理由の下で現れた架空の歴史のパラダイムを解釈する楽しみを、安易に否定して欲しくはないのである。

・さて。明日はラジマスター公録行ってきますw