コストというシンプルで難解な壁

・「ラジオdeアイマchu!!」の初の公開録音ということで、横浜は関内までやってきた。横浜駅近辺には仕事で度々訪れることはあっても、関内だの石川町だのと言うとほとんど用事がないので来る事がない。そんなわけで、予定よりも早起きしてしまったのでそのまま昼頃に現場着して、物販で買う物を買い(あの缶バッジの売り方はエグ過ぎる!)、あとは実際にチケットを持っている相方(?)の到着待ちを今している。現在進行形である(笑)

・さて、まぁさすがに時間を余してしまった上に、入ったタリーズの冷房がキンキンで、長くは居られぬとばかりに飛び出したものの、土地勘の全くない場所ゆえ、とりあえずネットカフェを探す目的で馬車道から関内大通りを歩いた。ちょうど馬車道には、神奈川県歴史博物館(だったよな?)というなかなか衒学的趣味をそそられる場所があるのだが、この建物の佇まいたるや。モダニズム様式など吹いて飛びそうな威風堂々としたドイツ近代様式の面構えが、真に素敵である。

・そう思いながら、改めてちんたらと関内の町をぶらぶらと歩くと、ちょうど都内で言えば日本橋近辺に見られるような、近代建築の粋を集めたような芸術性と、構造物としての剛健さを兼ね備えたような門構えを多く見る。そこには「芸術家」の側面を持つ建築家と、職人のプライドを垣間見ることができる。単にハコモノとしてではない、ポストモダンが「脱構築」の名の下に一度切り捨てようとして切り捨てられなかったものが、単純にどうということもなく、長い歴史を潜り抜けたという根拠だけではない説得力を持ち得るものとして、存在している。

・かつて、ナチスドイツにおいてヒトラーが進めていた計画の中に、「ゲルマニア計画」と言う都市の再構築計画が有った。無論、ナチスは最終的にソ連軍にベルリンを陥落されたことで敗北し、計画そのものの全てが実行に移されるわけではなかったが、この計画に参画していた後のナチス政権下において軍需大臣となったアルベルト・シュペーアは、自らの回顧録において「ギリシャ建築のように幾千年以上の時間尺度においてなお、建築としての形を成すもの」を目指したと述べている。なるほど、単に人が住まい働く場所としての建築物以上の芸術性を、建築家が求めることは何も不思議ではないし、その根拠を例えばギリシャなり、かつてのローマ帝国期の建築物なりが近現代においても残されている所以は、そうした芸術性の思想と実現において果たされるものなのであろう。ただ、そこに一つ、現代の商工業の在り方を照らすと、恐らくシュペーアの理想などと言うものは時代遅れと言うより、非現実的でさえある。そこに横たわるのは「コスト」という問題だ。

・戦後、高度成長期から二度のオイルショックを潜り抜け、バブル景気と言う一種の「鬱憤晴らし」のような乱痴気騒ぎの次に待っていたのは「失われた10年」である。その「失われた」期間において、経営者として求められたものは「コストの削減」と言うごくごく当たり前のテーマである。しかしその風潮は、日本国内において割と歪められた形で実現されてきたような気がしてならない。金銭も時間も同様に本来コストで有り得べきものが、単純なキャッシュ・フローに対する支出の抑制という形で実現され、労働者は対時間比に換算しても割の合わない作業を背負わざるを得なくなった。それが全部駄目だと言うつもりはないけれども、「切らなければいけないコスト」と「切っちゃいけないコスト」の違いをどれだけの経営者が理解しているかは、非常に疑問だ。特にそれは、東日本大震災以降さらにおかしな形に歪んでいる。

・そういう風潮の元で、建築家に存分な芸術性を求め、彼らが引いた図面に対して忠実に、どれだけ時間を割いても実現に向けて作業努力をさせるか、と言うある意味難解な問題をシンプルに解決するために、コストという壁を一旦作りこんで、その枠内の論理で片付けようというのが、ごくごく当たり前のこととして横たわっている。それはそれとしても、じゃあ例えば私が建設業に従事する労働者で、残業代とか一切出ないし、納期も決まっているけど、これだけのものは作って貰わないと困る、といわれたときどう反応するかと言えば「それだけの金をくれよ」というだろう。私も結局、コストと言う壁の中で見合う見合わないを考えている。そうなるように、私は仕向けられていたことに気付いて、愕然とする。

・コストという壁は、観測される存在はシンプルであるが、定義は至極難解なのだ。なぜなら、定義をするために必要な「論理」という記号を、コストの壁の内側から見出すことが難しいからだ。一度その壁を越えて、もっと経済というものを客観視できる立場を立脚できない限り、僕たちはずっと、コストという名の壁の中にいて、その向こう側を見ることができるほど達観できていない。がっかりするだろう? でも、それが現実だ。

・横浜は文明開化の玄関口でもあり、西洋文化を受け入れる礎を作った街である。その歴史と伝統を大事に保存し、後世に語り継ぐ必然性を、街そのものが受容している。だが、その「必然性」と言うのは、コストの壁の向こう側にある達観視された感情に依拠している。改めて、敬虔な気持ちにさせられる気がした。

・まっ、そんなこたぁ多分今日の帰りには忘れているけどね! 仁後ちゃん、あっきー、あさぽんに会いに行ってきまっす!(笑) ゲストあずみんだしね!