「中村繪里子」と言う天才とその扱い

・のっけからなんつータイトルだと言う話だが、本日のラジマスター公録とリアルに直面して感じたことは、「中村繪里子は天才である」と言う、紗水的に以前から抱いていた感想の焼き直しであり、かつ改めて中村繪里子と言う声優に「惚れ直した」瞬間でもあった。

アイドルマスターと言う「コンテンツ」を初期から支えていたのは、部分としてではあるが「ラジましょ」であり「アイレディ」であったと思う。それほどコモディティ化し得ないニッチなコンテンツを「コンテンツたらしめない」妙な内輪感で包括していたのは、「アイレディ」が地上波番組として一定の支持を得られたことと、「ラジましょ」の度を超えたフリーダムな番組展開が、メインコンテンツに対しての興味を引き出していた一定の効果は存在していたと思われる。だが無論、それはXbox360におけるいわゆる「無印」の発売から先に於いては、ベクトルを異にするのである。

・だがしかし、である。「ラジましょ」に於いて中村繪里子と言う存在は常に「混沌の諸元」であり、定常的な進行役を仰せつかった(わけではないだろうが)今井麻美や、ヒロイン勢力の一角である萩原雪歩役を担い「アイマスの良心」たらんとすべきはずだった落合祐里香の常に斜め上を行く存在であった。結果的に「ラジましょ」第1期は「誰もまともに進行をしない」と言うWebラジオ史上に歴史を残す大フリーダム番組としてその足跡を残し、落合祐里香から仁後真耶子へのパーソナリティ変更を経て更なるカオス番組へと「進化」する。その一方、たかはし智秋今井麻美と言う「比較的安定感のあるデタラメ」を演じる「アイレディ」は、地上波番組としてあり得べき進化過程を経る。つまり、互いの番組は互いの「存在領域」を微妙に意識しながら、ソフトウェアとしての成熟を見たのだ。

・そうしてOBC傘下にある「アイレディ」は「アイステ」として変化していく中で、SPと言う新たなコンテンツを受けてアニメイトTV側も「P.S.プロデューサー」と言う番組編成とともに、長谷川明子と言う新たな要員を前面に押し出すための「戦略」に出る。今にして思えば「2」のコンテンツ戦術に対して、美希役である長谷川ちゃんを前に押さないわけには行かなかったのだろう。だがそうした政治的意図とは無関係に、中村繪里子中村繪里子で有り続けた長谷川明子と言う若手に対して「相応な」レベルのカオスとして、中村繪里子は「覇王」として君臨し続けたのだ。暴走する中村、止める長谷川。単純に今井→長谷川へのシフトチェンジと言うだけではない政治的な意図が、「P.S.プロデューサー」には存在したはずなのだ。

・しかして、「P.S.プロデューサー」はその役目を終え、ラジマスターへと移行する。だがそれは「アイレディ」が「アイステ」へと衣替えする以上のインパクトは持っていなかったはずだ。だが、ラジマスターは離陸する。「ラジましょ」「R4U」と言うコンテンツをカオスコンテンツと化したもう一人の「戦犯」である仁後真耶子とともに、だ。

・かくして、アニメイトTV系列のアイマスラジオから、中村繪里子が姿を消す。「ラジましょ」から「ラジマスター」まで、5年と言う長きに渡って、番組を跨いでもなおメインパーソナリティの座に居た、天海春香役の中村繪里子が、ついにその座を明け渡すのだ。結果、今回のラジマスターの「結果的なメイン」は、中村繪里子の「卒業式」であったと言えるだろう。

・物凄く近い身内と話したのは、「中村がいなくて大丈夫か?」と言う問題だった。もうネットでは情報が飛び交っているだろうから既知情報として扱うが、次のアニメイトTVアイマスラジオは、長谷川・仁後に下田麻美が入る形で展開される。つまり「アニメ版」アイマスのラジオに中村・今井の「二枚看板」、Webラジオには中村に変わって下田が入り「ラジオdeアイマchu!!」となり、「アイステ」は沼倉・原・浅倉と言う「前史を全く知らない世代」で構成されることが明確になったのである。もう「アイステ」は番組コンセプトそのものがかつての番組から一新される必要があるだろうが、「アイマchu!!」は正直番組の方向性が全く見えない。そのくらい、中村繪里子と言う存在はアニメイト系ラジオにおいて絶対無二の存在だった。

・それを天才と言わずして、何という? 中村繪里子と言う天才は、天海春香と言う「普通の子」(ではないと思うが……)をフラットに演じ切ることで、アイマスの絶対的なヒロインとして君臨しているのだ。どれほど無個性だと言われても、天海春香の普遍的な「普通さ」は、おかしな色を持たないことによって敷衍し、春香をヒロインたらしめたのだ。それは、アイマス2においてむしろ強調されてさえいる。春香はあまりに「普通の子」であり、自分がリーダーであると言うことに過度の責任を背負い込み、それを誰にも言えずに抱え込んで自爆しそうになると言う脆いキャラクターを、中村繪里子は演じきったのだ。これほどのキャラクター性に対しても、中村繪里子は常に「中村繪里子」で有り続けた。春香は春香、中村は中村であると言うことを役者の立場から論じることなく見せ付けたのだ。

・紗水は、一番好きなアイドルは「三浦あずさ」であり、番手が「高槻やよい」であると公言し続けるだろう。恐らくそのポジショニングは、アイマス2を一周しても変わらないほどにキャラクター性に依拠した「萌え」であり、そこが揺らぐことはない。だが、「アイマスの中の人」で誰が一番好きか、と問われたら、紗水は「中村繪里子」と即答する。俺は彼女が天海春香でなければ、アイマスと言うコンテンツにこれほど深入りすることは絶対になかった。あずささんややよいと言うアイドルが居ても、恐らくそれは絶対性を持たなかった。リアルとバーチャルの間に、俺にとってのリアリティを繋ぐ「最初の絆」は、間違いなく春香であり中村繪里子だったのだ。

中村繪里子は、サンパール荒川の舞台で下手から上手、そして中央に向かって土下座して歩いた。言葉が介在することなく、彼女は全身全霊で、役者としてこれまでコンテンツを支えてきたファンに向かって、土下座して見せたのだ。あの絶対女王・中村繪里子が、である。台本も台詞もクソもなく、彼女は「繪里ちゃん、5年間ありがとう!」のファンの声に慟哭したのだ。元来涙もろい彼女のことだ、一発で陥落するだろうことはわかっていた。それでも俺は、中村さんの涙に純粋に泣いた。

・彼女は常に、ファンと共にアイマスというコンテンツのボーダーラインに君臨した女王だった。だが、今や明確な「看板」となった中村繪里子の仕事は、もうアイマスに、天海春香に囚われる必然性を持たない。アイマスのアニメが、それ以外の番組が、彼女を飛躍させる舞台装置とならんことを切に祈る。中村繪里子は、僕らの想像を絶するレベルの、天才なのだから。