やっぱ入院なんざするもんじゃないね

・そりゃそうだろ、と誰もが言うだろうが、入院してきた。28日未明に救急車で担ぎ込まれて、29日早朝に退院。1泊2日で35K円(交通費なし)が吹っ飛ぶ高いリゾートと相成った。ぶっちゃけ救急治療が済んだら、ベッド無ぇから帰れと言われると思っていたんだが、残念ながら3,150円/日の差額ベッドが空いていた。そんな始末である。

・とは言え、一通りの緊急治療が済んで発作は一段落してもサチュレーションは92近辺と、相変わらずの低水準。うーん、こりゃ確かに黙ってもう一日ステロイドとネオフィリンぶち込まれるべき状態だなー、と患者歴の長い紗水さんは咄嗟に勘定を済ませた。ただ、29日の朝飯は要らん、と看護師さんに事伝えておいた後、そのままぼんやりとベッドで寝て、朝食の声で起こされた。出てきた飯の量が、一目瞭然で少ない。あとで食器の回収に来た係の方が「どうでしたか?」と訊くので、素直に「もうちょっと、量が……」と言ったところ、昼飯から飯の量が確かに増えた。がっつり満腹感もある。これなら昼寝できる

・が。ヘルシーの極みとも洋風精進料理とも言えるベジタリアン仕様の病院食は、とても胃腸を健やかにするがゆえに消化も早い。目が覚めて時計代わりのテレビを見ると14時。夕飯は18時。眠剤が来るのが22時。圧倒的な「暇」との戦いが始まる。院内売店を覗いたが、糧食に影響するとまずいと思いミネラルウォーターは確保したものの、ボールペンもなけりゃ大学ノートもない。筆記用具の類で有るのは、便箋とレターセットばかりである。縁起でもないことしか思い付かなかったが、そういやここってターミナルケアやってんだよな、と思い出す。うーん。出てちょいと行ったところにコンビニが有るのは知ってるが、左腕静脈にカニューレぶっ刺さったまんまでコンビニなんか行けん。そこで、はたと思い付き病棟のナースステーションに飛び込む。

「コピーの裏紙とボールペンないですかっ!?」

・……きょとんとした顔の看護師さんを尻目に、裏紙を10枚程いただき、ボールペンをお借りする。よしよし、これで暇が潰せる。とは言っても裏紙10枚分まで。それ以上は余裕がない。今、俺の目の前に有るのは、たったA4で10枚だけのスペースなのだ、と思うと、もうそれだけで色々と思い付く。もっとも、相変わらず字を書くのは不自由なので主に図。それとアルファベット。画数の多い漢字と違って、割とアルファベットは書きやすい。筆記体とブロック体の中間みたいなテキトーな書き方ではあるが。

・そうやって暇を潰しているうちに夕食が来て、10枚目の余白が埋まってしまった辺りでテレビを見た。あー、世界陸上ってもうやってんだっけなと思いつつ、織田裕二フリーダムだなーと思いつつ、ボルト選手のフライングに溜息を漏らしている間に点滴の交換が有って、看護師さんに「ボルトがフライングで失格になっちゃってね」などと話したら「えっ、そうなんですか!?」と素の声で言う。そうか、こんな大変なお仕事だと俺ら入院患者と違ってそんな自由もねぇんだな、そんでもって俺らはそんな彼女らに助けられて生きてんだなと思うと、申し訳ないね、と心の中で思う。改めて流れこむ点滴の冷たさも手伝って。

・22時の消灯の直前には、所望した通りの眠剤が処方され安眠。6時起床時(実は起こされた)のサチュレーションは96。まぁ、ギリギリだ。用度掛に精算誓約書(要するに「今カネ持ってねぇから、ツケにしておくんな!」と頼む紙)を書いて、無事退院。朝の通勤時間帯の最中、フラフラと自宅へと戻り、29日は何事もなかったように出勤した、と言うのが顛末である。まぁやっぱ、入院なんざするもんじゃねぇ。

・ただ、残された10枚の裏紙を、時折眺める。ところどころで「何が書きたかったんだ? なぁ、俺」と聞きたくなるところも有ったが、いろんなところから借りて継いで剥いで作られたような「世界観」を眺めている。眺めながら、こう思うのだ。確かに俺には、物書きの才能もなけりゃ動画のセンスもねぇ。他人と比べていたら、そんなものはいつまで経っても見つかるわけがねぇ。だからもう、良いんじゃねぇの? 褒められも貶されもせず、って宮沢賢治じゃねぇけどさ。もう、目指すところなんて「自分史上最高傑作」で良いじゃん。人から見たら何も違わない為体であっても、んなこと気にしてっから何にもできねぇんじゃん。そう、思った。

・「お前の人生、あと裏紙何枚分かわかんねぇんだぜ?」と、言われているような気がしたからかも知れん。